(1) 創建時主棟
明治31 年(1898年)の創建時に建設された建物の内、現在では醗酵(はっこう)室や貯蔵庫として使われた2階建の部分と5階建の一部が残されています。これを創建時主棟としています。
創建時主棟2階建部分は、厚い煉瓦造の間仕切壁で、奥行のある穴蔵状の部屋に分割されています。2階床と天井は、I型鉄梁を架け、その間を煉瓦アーチで埋めた耐火床としています。窓は櫛型(くしがた)アーチで、中央の最上部に楔形(くさびがた)の要石(かなめいし)を配しています。要石を差し込むことでアーチを構成する他の石が固定されています。現存する5階建は、工場の要(かなめ)の位置にあり、ここに事務室、技師室などがありました。5階の半円アーチ窓には、要石と迫元石を3ヶ所配しています。
明治31年創建時の姿(清水建設株式会社提供)
明治36年頃(明治26年4月刊「名古屋案内」(名古屋通信社発行)所載
煙突の文字がこれまでのマルサンビールからカブトビールとなっている
左上は設計者の妻木頼黄
(2) ハーフティンバー(木骨レンガ造)棟
創建時主棟の南側に隣接してハーフティンバー棟があり、瓶詰(びんづめ)場、瓶置場、瓶洗場などに使用されていました。木骨煉瓦造、平屋建で、勾配の緩やかな切妻屋根をのせています。他の部分と異なり、赤い煉瓦壁と木骨の柱梁、筋交い(すじかい)の白さが対照的な建物です。ハーフティンバー棟南側部分は軒が高いため、補強用の胴差(どうさし)が入れられています。胴差の上部に高窓が、下部には大きな開口があります。
ハーフティンバー棟(平成17年頃)
(3) 貯蔵庫棟
創建時主棟の北側と西側に隣接して貯蔵庫棟があります。貯蔵庫棟は煉瓦造2 階建となっています。創建時主棟の北側から明治41 年(1908年)、大正7 年(1918年)、大正10 年(1921年)と反時計回りに増築されました。明治41 年(1908年)に増築された部分は鈴木禎次の設計となっており、建設時期で高さが異なっています。醗酵室、貯蔵室として使用されていました。
(4) 超省エネルギー建物への工夫
ビール製造の工程では、発酵は5℃~15℃、貯蔵は0℃~3℃の低温を保つことが必要条件であり、建物に対してもできる限りの断熱性能が要求されました。各室への出入口の断熱扉などは日本食品化工(株)時代に撤去されていますが、屋上スラブが中空の2 重~3 重アーチ耐火床となっていることと、外部に面した壁は2 重~5 重の壁となっていて中空の断熱空気層をもっていることなど、他の類例が極めて少ない貴重な建物であり、建築的にもすばらしい技術を駆使したものといえます。
屋上スラブ 中空の2重~3重アーチ耐火床となっている
外部に面した壁 2重~5重の壁となっている