第1の意義 「郷土産業の遺産」
半田赤レンガ建物はカブトビールの醸造工場として建設されました。当時、既に東京のエビス、大阪のアサヒといった大都市をバックにしたメーカーのビールがほとんどのシェアを占めていた時代に、カブトビールはこの地方都市・半田から挑戦を仕掛けたのです。郷土の先人達の「ものづくりの心意気と起業家精神」をこの建物からは感じ取ることが出来ます。
第2の意義 「建築物としての遺産」
この赤レンガ建物は、以下の点から大変貴重な建築物といえます。設計者の妻木頼黄とは、明治政府の建築物のほとんどを取り仕切った建築家で、横浜の赤レンガ倉庫の設計者としても有名です。
①現存数が極めて少ない現存ビール工場遺跡であること
②大規模なレンガの建築物であること
③設計は、明治建築界の3巨匠の一人である妻木頼黄(つまきよりなか)によること
④断熱構造建築の先駆的実例であること
第3の意義 「戦争の遺跡」
赤レンガ建物は、明治31年(1898年)から、約43年間ビールを製造しましたが、昭和18年(1943年)にはビール製造を中止し、中島飛行機半田製作所の衣糧倉庫になりました。終戦の一ヶ月前の昭和20年(1945年)7月15日、半田が初めて空襲された時に、アメリカの小型戦闘機の機銃掃射に遭いました。改修工事では壁面の無数の弾痕から銃弾が発見されており、戦争被害の貴重な遺跡と言えます。